FOUNDER

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代表メッセージ

立川ファルコンズ代表
白倉 和行

いつも私たち立川ファルコンズへの応援、助言、ご指導をいただき、心よりお礼申し上げます。 この度、立川ファルコンズは結成40周年を迎えることとなりました。 40年、なんと長い年月でしょう。振り返りますと、当時立川に住むアメリカンフットボールに憧れる若者が、ルールもわからないまま無い頭をひねり、半年も考えた挙句、「とにかくチームを作ろう!」と決断し、手描きのポスターを電柱に貼り、商店に置いてもらい、部員を募集したのが始まりでした。

そして何とか集まった20人にも満たない若者たちが『初めの一歩』を踏み出してから40年、まさかこんなに長い間継続することができるとは思いもしなかったというのが、偽らざる気持ちであります。  もちろん、これは私たちだけで続けてこられたものではありません。選手たちの家族はもちろんのこと、私たちにグラウンドや用具置き場を提供してくださる方や、物心ともにサポートをしてくださる多くの方たちに支えられた結果であることを心から感謝申し上げます。

現在もアマチュアスポーツの置かれている環境は必ずしも良いものとはいえません。グラウンドの確保や資金不足、そして選手の確保など昔とほとんど変わっていません。しかし私たちは諦めず、好きなスポーツができるならと邁進してまいりました。そして現在も毎年新人が入ってきています。これからもこの若い選手たちのために出来る限りのことをして、チームを盛り上げていきたいと考えております。

立川ファルコンズはこれからも皆様から愛され、応援していただけるよう、勝利に向けてがんばってまいります。それが現役選手のこれからのさらなる40年となることを信じております。 皆様方には今後も変わらぬご支援、ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

2012年7月
白倉 和行

※ 本メッセージは、創部40周年パーティー時のメッセージです

創部当時を振り返って

私達ファルコンズが今日迄 30 年以上も活動して来られたのも、ひとえにチ-ムを影ながら支えて下さいました選手の家族、アドバイスを下さる方々、そしてファルコンズ創部以来協力して頂いている多くの OB や皆様のお陰と、スタッフ並びに選 手一同心より感謝しますと共にお礼申し上げます。 一口に 30 年と言えば簡単ですが、私にとって見れば実に気の遠くなるような時間と重みを感ぜずにはいられません。 ファルコンズは私が近所のサンちゃん、ニイちゃん達を集め”ワイワイガヤガヤ”と始めたのがきっかけです。 創部当時のメンバーはフットボールというスポーツを、大学や社会人のリーグでやっている事は知ってはいても、まだまだTVや雑誌等の情報も少なかった時代ですから、いざ始めようとしてもフォーメーションや練習方法も判らず見様見真似で、それはもう話にならない”素人集団”でした。 そんな折、私がチームを創ったとの話を聞いて、後に私の師(公私共に)となる青木 譲二氏と出会うことになります。

青木氏は成城大学のフットボール部の出身で、その昔成城大学が一部の時の主将であり、私達にとっては心強い味方が、渡りに舟とやって来てくれたものと大喜びしたものでした。 その後も氏の後輩の木村氏や同志社 OB の松本氏といった人々が、選手兼コーチとして参加下さり御指導していただく事になりました。 ここで少し青木氏との思い出を話させていただきます。 青木氏が現役で活躍していた頃の話はよく聞きました。 どの話も当時の私達には面白く、話し出したらキリがなくなりそうですが防具の話などは今でもよく覚えています。 ……当時は現在のように輸入品がたくさんあるわけではなく防具はすべて米軍の払い下げ品でヘッドギヤやショルダーもプラスチックではなく皮製だったときいてビックリ!おまけにヘッドギヤにはフェースガードもついていなかったときいて又ビ ックリ!!当時の写真などをみながら皆で酒を飲み、カッコ悪いなどと失礼な事を言いいつつプレーのこと、戦術のことなど聴かせていただいた夜を懐かしく思います。

しかし、そんな青木氏でしたが25周年を迎える1ケ月前の夜、あんなにパーティーを愉しみにしておられたのに残念ながら事故で亡くなってしまいました。 主催者側として中止も考えたのですが、ご本人の愉しみにしていたイベントであったこともあり開催にふみきり無事、沢山のお客様の御出席を頂き無事終える事ができ、ご本人に成功の報告をさせて頂きました。 ところで私達の時代のフットボールと言えば大学ではやはり東の日大、西は武田健監督の関学であり、特に両校の出場する甲子園ボウルをみんなワクワクしながら観たものです。

一方社会人リーグは、学生の方が、実力が上で盛り上がりにかけていた様に思われましたが、そんな中にあって一際異彩を放つ私達が一番憧れるチームがありました。 現在の様な学生と社会人が争うライスボウルが当時あれば絶対日本一であったと自他共に認めるチーム、無冠の帝王と呼ばれた QB 佐曽利を擁する名門クラブチーム・シルバースターであります。 とにかく強くてカッコ良かった!!! 現在でこそスポンサーがつきましたが、当時と変らずクラブチームの雄として誰からも束縛されず自らが楽しみながら強いチームを目指して活動している姿は大変立派であり私達も大いに学んだ所であり、そんなシルバースターを目標(大変失礼ですが)として、手本としてきました。 思えば創部当時、防具も満足に買う事も出来ず、記念写真を撮るときなどユニホームの下に棒を一本とうしてショルダーをつ けているようにみせたり… 思い出すと笑ってしまいますが、ボールも買えない、部員も不足、グランドもないの”3欠”状態の当初より、苦しい時も選手、スタッフ共々、力を合わせてファルコンズを必死に守り通せて来られたのも、誰からも束縛されず自由に、又誰からも注目されるチームを目指して活動して来たからだと思っています。

2004年7月
白倉 和行

※ 本手記は、創部30周年パーティー時のメッセージです